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遠い約束

2002/12/22 文責:中根

1. 序

 大阪大学推理小説(ミステリ)研究会の読書会というのはミステリを読んでいるわけです。それでは、ミステリというのはどういった小説なのか。これはたびたび論議を呼ぶ問題ではありますが、私見としまして、謎があり、それが納得できる解決を持つ小説をミステリと呼ぶことにします(この点については、今は議論をしません。本題にはあまり関係ありませんから)。それは「誰がクックロビンを殺したのか」でも、「どうやって密室の中の人を殺したのか」でも、「チョコレートゲームとは何なのか」でも、あるいは「遠い約束」の中の一編の「なぜ死者からの暑中見舞いが届いたのか」でもいいわけです。

 今回私が「遠い約束」を読書会で取り上げる理由は、この「謎」にあります。その理由は3. で述べることにしますが、以後「遠い約束」に関してはネタばれがあるので、その点をご了承願います。

2. 作

 作者については言うまでもありませんが、簡単なプロフィールを。

 光原百合:大阪大学推理小説研究会出身。「時計を忘れて森へ行こう」がデビュー作。「十八の夏」で日本推理作家協会短編賞を受賞。

3. 謎

 ミステリというのは、1.でも述べましたが「謎」があり、それが解決される小説です(としています)。では、その「謎」というのはいったい誰に対する謎なのでしょうか。たとえば、作中の犯人にとっては「どうやって密室の中の人を殺したのか」は謎でもなんでもないわけです(何せ自分が実行したのですから)。また、作者にとっても謎ではありません(自分が考えたのです)。上のことが謎になるのは、普通は作中の犯人以外の全員と読者です。そして、その中で作中の探偵役だけが「謎」を解き、それをほかの人物と読者に解説する形をとります。

 この、誰にとって「謎」であるかという点がミステリの発展と分化に大きくかかわっていると思います。まず、いわゆる「本格」と呼ばれるものは、読者にも「謎」を解かせるという形式をとります。それゆえ、いろいろと手がかりがちりばめられ、時には挑戦状が付随することもあります。「叙述」と呼ばれるものは、読者だけがその「謎」が分からないという状況を作ります。また、「倒叙」と呼ばれるものは、探偵だけ「謎」が分からない状況になっています。

 この視点で遠い約束を読むと、誰にとっての「謎」かが非常にわかりやすい作品になっていますが、これはまた後述することにします。

4. 日

 北村薫の「空飛ぶ馬」以降、日本のミステリで確かな地位を占めたのが、いわゆる「日常の謎」と呼ばれる作品群です。これは、殺人・誘拐のような血生臭い事件ではなく、どこにでもあるような風景から「謎」を持ってくることに画期的な点がありました。

 しかして私は、先駆者である北村薫の「謎」(たとえば「なぜ女子高生は砂糖を何杯も入れるのか」)と、その後の加納朋子、そして今取り上げている光原百合の「謎」(たとえば、「なぜ弥生さんは食事をしないのか」)とでは、確かな違いがあると思っています。

 私は、前者を「好奇心の謎」、後者を「切実な謎」と言っています。わかりやすくいうと、前者は解かなくてもよい「謎」で、後者は解かなければならない「謎」です。先程の例でいえば、前者の謎はたまたま目撃した不思議な出来事であり、探偵役(主人公)は傍観者として解決するのに対し、後者は必然的に耳に入ってきた出来事であり、探偵役(主人公)は当事者として解決します。

 もちろん、これは程度問題であり、北村薫にも後者の作品(「秋の花」)があるように、完全に分類できるものではありませんが、このような二つの「謎」の傾向が「日常の謎」の作品にあると思います。

6. 遠

 この「日常の謎」の出発点は「安楽椅子探偵」にあると私は思います。その証拠に、この作品群においては、探偵役は「謎」に関して悩むことはしません(解決方法を悩むことはあっても)。とすると、ここでいう「謎」とは誰にとっての謎かということになります。

 これは作中の主人公にとっての謎であり、読者にとっても謎になります。

 しかし、「遠い約束」については、もう少し複雑になっています。

 まず、「切実な謎」であるにもかかわらず、作られた「謎」であることです。いいかえれば、「犯人」がいる作品です。

 さらに、この「謎」は解かれるべき謎であります。私が読んだミステリの中で唯一、犯人が(作者がではなく)解かれることを目的とした謎を作り出した作品だと思います。

 そしてそれゆえに、この謎は読者にとっては「容易に」解くことが出来ることになります。これが何を意味するかというと、「遠い約束」における謎というのは、主人公すなわち吉野桜子にとってのみ「謎」たりえるということです。そしてその謎が作られた動機をも考え合わせれば、吉野桜子が解かなければ意味のない「謎」でもあるわけです。この転換はミステリに新たな地平を開く可能性を持っていると私は確信しています。

7. 探

 上でも言っていますが、この本での探偵役は謎を解いてはいません。探偵役にとってはこの謎はあまりにも容易で「謎」たりえないのです。ではなぜ三人もの探偵役がいるのか? この問いに対する答えを私見で述べるとするならば、探偵役にとって「謎」でない以上、「解答」もまた探偵役の中には存在しないということだと思います。その意味解釈は何通りもあるよと。それが三人の探偵役のスタンスに表れているのだと思います。

 具体的に言うならば、暗号の答えはわかっても、その意味することまでは分からないのです。それゆえ探偵は答えを言わない。意味がないからです。

 さらに言うならば、犯人(これは作者でもありえるわけですが)の意図したようにしか「謎」は解かれえないのです。「遠い約束」においては、犯人が探偵役に指名したのが吉野桜子である以上、吉野桜子以外は「謎」を解くことが出来ないのです。

8. 終

 この考えを推し進めると、探偵だけが「謎」と思っているミステリとか、探偵によって「答え」が異なるミステリもあり得るでしょうし、いずれ現れると思います。それが美しい形で現れた時に、ミステリは新たな段階へと進むでしょう。