リレー小説(@掲示板) 2nd.stage

過去にネット上の掲示板で行われたリレー小説をまとめました。
第二弾です。(2004年12月 8日(水)10時25分54秒〜2005年 1月12日(水)09時55分20秒)
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温羅  今、私の目の前に、何の変哲もない陶器の貯金箱がある。だが、その豚の形をした愛嬌のある姿が私を和ませることはない。これを見る度にあの事件の記憶がまざまざとよみがえり、私の背筋を震わせるのだ。そう、あれは城ヶ崎が手がけた事件の中でも群を抜いて不気味で、不可解な事件だった。
 もしもこの貯金箱と、城ヶ崎の卓越した頭脳と、咄嗟の機転がなければ、さらに多くの血が流されていたに違いない。そう考えると、あの恐るべき殺人鬼「黄昏の庭師」の手から一人の健気な少女とその母親の命が救われたことが奇跡に思え、それを成し遂げた城ヶ崎の手腕にまたしても舌を巻くのである。
 今にして思えば我々があの事件に関わるきっかけになったのは、我々の友人である桂木警部がもらしたあの何気ない一言だったのではないだろうか。あの日、城ヶ崎探偵事務所のドアを警部が叩いた時に我々は、確か昼食後のコーヒーを楽しんでいた。
「おや?早坂君、誰かお客さんのようだよ」
 ノックの音に振り向いた城ヶ崎が立ち上がりもせず私を目で促した。
だらだら  この城ヶ崎の言葉からも分かるように、私の立場は彼よりも下である。あくまでも、所長は彼。私は彼に雇用される立場である。「遅いぞ。折角依頼を持って来てやったのに」私が応対に出ると、桂木は笑いながらいった。
柚子 「どんな依頼だ?くだらんなら受けんぜ」旧知の仲ということで、口調は自然とぞんざいになる。案の定桂木が持ってきた依頼は、不審な手紙という、ありがちな事件であった。城ヶ崎は適当に解決しておくよう私に言い、その場を立ち去ろうとしたが、
色目夏 部屋のドアを開けようとした時、何かに気づいてあわててテーブルに戻ってきた。
「お、どうした」そう聞きながら、私にはだいたいその理由がわかっていた。次の瞬間、
「城ヶ崎さ〜ん。お暇ですか」ドアを開けて、愛らしい女の子が顔を覗かせた。
「申し訳ない、陽子君。実は急ぎの依頼が入ってしまったんだ」
「ええ、そんな」
 彼女は空野陽子、ある事件以来、城ヶ崎にべったりな子である。
野村 「そうか、陽子ちゃんにもあてはまるな」
 桂木警部が何気なく言った。
 ふっと城ヶ崎がふりかえった。おい、あまり下らんことを言うな──そう警告するかのように、城ヶ崎の片眉が上がっている。桂木警部はあっさりとそれを流した。
「ほら、この手紙の──」
 そう言って桂木警部は、かつて彼に逮捕された男から届いた、その手紙の中の一行を指し示した。
柚子  彼が示したのは、冒頭の「城ヶ崎探偵事務所の皆様」である。
「たしか戸倉の事件の時に、彼女も調査に加わってたよな?」――そう、義憤なのか、それともただの野次馬根性なのか、彼女は精力的に調査に参加していた。その際彼女は「城ヶ崎事務所の空野」と名乗り、戸倉と対峙したのだ。桂木の解釈は当然と言えよう。城ヶ崎を見ると、陽子の目が光るのを見て諦めたのか、私の肩ごしに身をのりだして、手紙の文面を目で追っている。
腹ふり党  しかし妙である。なぜ警部が持ってきた手紙に、この事務所あての言葉が書いてあるのだろうか?警部に聞いてみた。
「自宅に来たんだが、私も事務所の一員のようなものだということだろう。直接送って適当にあしらわれるのを恐れたのかもな」城ヶ崎は苦り切っている。
「スリの常習犯なんだが、この間すった財布に入ってたのが、同封されてるこっちの紙らしい。こんなものを持ってたら、命がいくつあっても足りないというんだ」
野村  その紙にはこれだけが記されていた。
『次はクリスマスイブの晩だ!
               黄昏の庭師』
「何だこりゃ?」
 私が思わず呟いた。分からない時のくせで城ヶ崎の顔を見てしまうが、彼も首を横に振った。
「暗号じゃないかと思って」
「それはないよ警部。これを掏った戸倉が暗合を解いたってのか?」
「あれ? もしかして三人とも知らないんですか? あのウワサ」
 我々の顔が、いっせいに空野陽子の方を向いた。
野村 「不幸の手紙みたいな話なんだけど、時刻を書いた手紙が届くの。その手紙を受け取った人は、“黄昏の庭師”に殺されるって」
「殺される?」
「ええ、それで、もしその手紙を人に渡したとしたら、それを持ってる人が殺されるの」
「そんな馬鹿馬鹿しい。第一どうやって……」
 言いかけた私の横で、城ヶ崎はその手紙を取り上げ、角をほぐすと薄く二枚に剥がした。紙の繊維のけばの中に、針金のようなものが見えた。
「発信機だな」
色目夏 その発信機とやらに向かって、城ヶ崎が喋る。
「これを聞いているのは黄昏の庭師君かな?まあ別に誰でもいい。遊びに来るならいつでも来たまえ。私は誰からも逃げることはない」
 そこまで言うと、城ヶ崎は発信機を握りつぶした。そして、こう言った。
「早坂君、クリスマスの日まで、どこか隠れるいいところは無いかな」
柚子 「逃げないって言ったのに、早々に逃げ出すつもりか?」私は揶揄うように彼に問いかけるが、答えはおそらく決まっている。「犯人がここに来たら分かるようにはするし、それに我々の足取りを掴んだとなれば、逆に相手を限定しやすくなるからね。まあ、他に発信機が仕掛けられていなければ、の話だが」おおかた私の予想通りに、城ヶ崎は答えた。「さて、噂が真実なら、『黄昏の庭師』は我々を追いかけてこなくてはいけないはずだ。
野村 しかし決行の日がイブだというなら、我々にも時間は十分にある。じっくりと迎え撃つ準備を整えられるさ。まあ、2、3日考えてみよう」
 それを聞いて、陽子くんがにっこりと笑った。
「あら、それなら、今日のところはまだ城ヶ崎さんお暇ですよね?」
「あ、いや、それは……」
 たじろぐ城ヶ崎をみて、陽子くんの笑みが深まる。
「城ヶ崎さん、さっき『私は誰からも逃げることはない』って言いましたよね?」
「ぐっ」
色目夏 「駅の近くに、おいしいあんみつを出すお店があるんです」
言葉に詰まって目を泳がせる城ヶ崎に、目を輝かせながら陽子くんが言う。城ヶ崎は目で私に助け舟をねだるが、私は目を伏せてそれを無視する。
そんな一瞬のアイコンタクトの結果、城ヶ崎は陽子くんに引っ張られるようにして、部屋から出て行った。
野村  私と桂木警部は顔を見合わせてくっくっと笑った。
「でも警部。この噂は、どれだけ根拠のあるものなんだろう。この“黄昏の庭師”は、以前にも殺人を犯しているのかな。もしそうなら警察沙汰になっていると思うんだが、警察は証拠物件として予告の手紙を押収したりしているのか、だとすればなぜ表沙汰になっていないのか。そのへんが気になるな」
「そうだな。一課の友人に確かめてみるよ」そう言って、桂木警部は帰っていった。
 結論から言おう。初戦は我々の完敗であった。城ヶ崎の綿密な計画を嘲笑うかのように「黄昏の庭師」は冷徹に予告を実行した。そして我々はかけがえのないものを失った。
 雪に埋もれた陽子くんの死体が発見されたのは、クリスマスの朝のことだった。
「…凶器は高枝切りバサミ。それで喉をばっさりだ。傷口にはポインセチアの枝が差し込まれてる。くそっ!ふざけやがって…」目を伏せた桂木警部が、わざとぶっきらぼうに言った。
柚子  城ヶ崎も、苦渋に満ちた表情で、爪を噛んでいる。こうなれば弔い合戦を仕掛ける他ないだろう。私は手掛かりになりそうな発言を、先日の会話を振り返って探り出す。
「なあ、桂木」私は桂木警部に尋ねる。
「『黄昏の庭師』の奴は、これまでに殺人を犯していたのか?」
はっとしたような表情をした警部は、それから暫く考え込むような仕草のあと、
「いや、それらしい殺しはおろか、予告状も発見されなかった。つまり陽子ちゃんが
木蘭 言った事は、全く根拠が無いことになる。しかし、今回それが的中してしまったわけだ…。こんな偶然はまず考えられないだろう。そこでだ、まず陽子ちゃんが言った『黄昏の庭師』の噂について、自分で考えたのかもしくは誰かから噂を聞いたのか、話の出所を明らかにする必要があるんじゃないだろうか。どう思う、城ヶ崎?」
野村 「それはもう調べた。出所はインターネットだ」
というのが城ヶ崎の答えだった。
「この二ヶ月くらい、無作為に選んだと思われる複数のBBSに書き込まれている」
「本当か! 令状をとればログを調べられるぞ」
「もちろんそれはやってもらう。だがもう一つ知りたいことがあるんだ。桂木、戸倉に連絡をとれないか」
「戸倉に?」
「ああ、気になるんだ。戸倉はあの手紙を受け取り手から摺ったのか、それとも差出人から掏ったのか……」
「分かった。なるべく早く手配するよ」うなずく警部。そこに担架を担いだ捜査員が後方から声をかけた。
「警部、遺体を搬送してもいいですか?」
「…ちょっと待ってくれ!」城ヶ崎が陽子くんの右手に何かを見つけたらしく、鋭い声で押し留めた。
「これは!…陽子くん、君には城ヶ崎探偵事務所名誉所長の称号を与えないといけないな。まったく僕は大馬鹿の役立たずだった…でも、君のメッセージはしっかり受け取ったよ」
柚子  陽子くんが残した証拠について、城ヶ崎は何も話してくれなかった。ただ気が荒立っているのか、それとも訊かれるのが嫌なのか、私が尋ねても、彼は何も答えてくれない。その証拠を桂木警部に渡してからは、何をすることもなく、彼は独りで、ずっと考え込んでいるのだった。
そして翌日。警部から連絡があった。戸倉とコンタクトがとれたとの事だ。警部はある場所を告げ、そこに来るよう告げると、すぐに電話を切った。
柚子  道中、私は城ヶ崎に尋ねる。
「どんな話だと思う?」
「さあ、会ってみなくちゃ何も分からんさ」彼は素っ気無く答えた。
 やはりそうか、私は確信する。彼は陽子くんの死に気が乱れているのだ。
 頭の中がまるで整理されていない。なるほど彼がこの状態なら、見逃しても無理はない。
 いちおう私の口から、彼に言っておいた方がよさそうだ。
「高枝切りバサミで正面から、しかも当日は雪が降っていた――どういう事だと思う、城ヶ崎?」
根本智也  城ヶ崎は足を止め、私のほうを振り返った。私の予想通り、その顔から私の言葉に虚をつかれたことが窺えた。しかし、城ヶ崎が呆れたような口調で口にした言葉は、私の予想を大きく裏切るものであった。
「何を言ってるんだ君は。死体検分書の写しにあっただろ。死亡推定時刻は24日午後八時の前後二時間。雪が降り出したのは午前零時頃だ。しかも死体には動かされた形跡ありとある。つまり、陽子君の死体は雪が降る前にあの場所――
色目夏  あの始まりの日、私と陽子君が行った甘味処の前に運ばれていたんだ」
「本気で言っているのか、城ヶ崎」やはり頭が回っていないのか。
「あそこは駅前だぞ。そんな時間に、どうやって人目につかずに、陽子君を持っていって、朝まで隠しておくんだ」
 私の言葉を聞いて、城ヶ崎はきょとんとしている。そして、数瞬の後、ふいに笑い出した。
「ははは、そうか。そういえば君には見せてなかったかもしれない。陽子君のメッセージを」
柚子  そういって城ヶ崎は、検分状況の走り書きを差し出す。「遺留品の欄を見てみたまえ」相当数の品目が詳細に書き連ねてあったが、その中にひとつ、不自然なものを見つけた。「――霜取り?」私が漏らすと、彼は口許を緩ませた。「ビンゴ。無免許の彼女が、車用の霜取りを持ち歩くはずはない。となると、彼女はイブの日に車に乗り、そしてその連れに殺されたと思っていいだろう」「すると車か何かで、この更地を隠していたって事か?」「充分暗いし、可能だろう。入口さえ塞げば
柚子  奥は見えないし、少し不自然でも気にしないさ」
「途中で通報とかレッカー移動になったら?向こうに死体があったら、誰だって怪しむだろう?」
「ずっと乗っていれば問題はない。奥も見られないだろうし、何かあったらすぐ対応できる。ここに犯人の用心深さが覗えるな」
「なら雪密室は、イブの贈り物か?」
「いや、寧ろ余計なお節介だろうな。まあ遺棄時間がばれても特に問題はないし、放置したんだろう。だが犯人は、霜取りを見逃している。それを解析すれば事件は解決だ」
色目夏  明るい口調でそう言う城ヶ崎は、しかし、やはりどこか不自然だった。
「城ヶ崎、お前、何か隠してないか」
それを聞いて、城ヶ崎は私の目を見ながら、いつになく真面目にこう言った。
「早坂君、もし私が君に何か隠し事をしているとするなら、私はそれを君に話すつもりはない、ということだ。詮索するのは無意味だよ」
色目夏  それを聞いて、思わず一つ舌打ちをしてしまった私に、城ヶ崎はこう続けた。
「ははは。そう腐らないでくれたまえ、早坂君。事件については、続きは戸倉にあった後で話し合おう」
話を打ち切られて少し不満だったが、どうやら城ヶ崎がなにかいらいらしているのは、陽子君の死で動揺しているわけではなく、私にも隠している何事かのせいだとわかって、私は少し安心した。
色目夏  とりあえず事件の話はやめにして、城ヶ崎とくだらない雑談をしているうちに、我々は警部の指定した場所、例のあんみつ屋についた。
「やあ警部。それに戸倉さん、お久しぶりです」
 店の中ではなく、外の腰掛でお汁粉を食べていた二人に、私は声をかけた。
「お久しぶり、か。できればわしは一生会いたくなかったがね」
 戸倉は、つんけんした様子でこう返してきた。当然かもしれない。あの事件で、彼が誤認逮捕されるきっかけを作ったのは、他でもない私なのだ。
 私が言葉に迷っていると、戸倉が怒鳴るようにこう言ってきた。
「さっさと用件を言ったらどうだ。こっちはこんな寒い中、ずっと待っていてやったんだ」
 戸倉の言葉に、私は首をかしげた。
「用件があるのはそちらではないのですか」
「用件があるのはこちらなんだよ、早坂君」
 城ヶ崎が割り込んできた。
「だけど城ヶ崎、お前、会うまで何の話かわからないと言っていたじゃないか」
「答えるのが面倒だったんだ。あれは少し大人気ない対応だったね。謝るよ。でもね、早坂君。私は嘘は言ってない。私があの時言った言葉を、よく思い出してみてくれ」
 そう言われて、私が思い出そうと頭をひねっている間に、城ヶ崎はさっさと戸倉に用件を話し始めた。
「戸倉さん、用件というのはこれだ」
 そう言って、城ヶ崎は戸倉に、あるものを渡した。
「…五百円玉?」
「そう、五百円玉。コイン鑑定商である戸倉さんに、それが本物であるかどうか調べてほしい」
 コインに施された細工を簡単に確かめると、戸倉は断定した。
「偽物に決まっているだろう、こんなもん」
「どうして」
「どうして、だと。ふざけるのもいい加減にしろ。この五百円玉、彫られている年号が来年のものじゃないか」
 激昂する戸倉に、あくまで真面目な口調で城ヶ崎が言った。
「おそらく、それは本物だ」
「頭が腐ったのか」
「それを確かめるためにあなたに調べていただきたい。あらゆる手段を使って」
「どうしてわしがそんなことをせねばならん。わしはお前たちに迷惑をかけられたんだぞ。警察に逮捕され、一週間も尋問を受けて」
「私があなたの無実を証明した。その借りがある」
「それは、もともとお前たちが、」
「あなたを誤認逮捕させたのは早坂君だ」
「…くそ、なんて奴だ。わかった。ならもうこれで貸し借りなしだ。この仕事が終わったら、二度とお前らには会わん」
「受けていただけるのか」
 そう聞いた城ヶ崎を睨みつけ、無言のまま、だが、五百円玉はしっかりと持って、戸倉は駅のほうへ歩いていった。
「受けてくれたようだね」
 城ヶ崎は息を一つ吐いて、私に言った
「城ヶ崎、」
「すまないね、早坂君。戸倉さんが仕事を請けてくれるように話を持っていったんだが、少し君を傷つける表現があったかもしれない」
「いや」
 珍しいこともある。こいつがこんなことを言うなんて。
「警部、用は済みました。ありがとうございました。我々はこれで失礼します」
 私が感じ入っている隙に、城ヶ崎は警部に礼を言って、とっとと帰り始めた。
「おい待て、城ヶ崎。じゃあ警部、失礼」
 お汁粉のもちを食べながらポカンとする警部に、簡単に挨拶をして、私は城ヶ崎を慌てて追いかけた。そして城ヶ崎に追いついたとき、忘れていたことを思い出した。
「おい、城ヶ崎。霜取りのこと、警部に言わなくてよかったのか」
 城ヶ崎はきょとんとしていた。
「霜取り?…ああ、霜取り。まあ、別に言う必要は無いよ」
 その言葉と態度には何かきなくさいものを感じたが、とりあえず今はそれより気になることがある。
「それよりあの五百円玉だ。あれはいったい何なんだ」
 城ヶ崎は、少し何か考えた後、観念したように、笑いながら言った。
「あれかい。あれは、陽子君のメッセージだよ」
「なんだと」
「ははは」
「ははは、じゃない。霜取りはどうなった。霜取りはなんだったんだ」
「人間、何でも疑おうと思えば疑えるもんだね。霜取りは別になんでもないよ」
 城ヶ崎は、実に面白そうに笑いながら言った。それは、今までたまっていた鬱憤を、全て吹き飛ばしてしまおうとするようだった。
「でも、明らかにおかしいじゃないか。関係無いんなら、どうして霜取りなんかが現場にあったんだ」
「…冗談のつもりだったんだ」
「は?」
「あの手紙が届いた日、私は陽子君とあんみつを食べに行ったね。そのとき、聞かれたんだ。今、何か欲しいものありますかって。それで私は、事務所の車が汚れているから、洗車する道具が欲しい、と答えた」
「…つまり、お前へのクリスマスプレゼントだったのか」
「多分ね。でも陽子君らしいね。洗車の道具と言われて、霜取りを買うなんて」
「そんな、そんな馬鹿な」
 脱力する私を見て、城ヶ崎はまた、豪快に笑った。そして、急に表情を締めて、こう言った。
「でもね、早坂君。この事件の結末はもっと馬鹿らしいものだ。腰が抜けないように力を入れておくといい」
 その言葉は、私の脱力した身体に喝を入れた
「城ヶ崎、お前、犯人が、」
「見当はついている」
 私は目を剥いた。
「城ヶ崎、では誰なんだ。陽子君を殺したのは誰だ」
「それは、戸倉の調査結果を待ってからにしよう。正直、この推測は外れていて欲しい。くだらないこと、この上ないからね」そう言う城ヶ崎の顔は、なぜか諦めたような表情だった。
 三日後、事務所に戸倉の調査結果と、そのコインが送られてきた。それには、形状、材質、ともに偽者と疑う余地は無し、と書かれていた。
「ふふ、早坂君。見てくれ。戸倉さん、調査結果の最後に、『だけどこれは偽者だ』って赤字で書いているよ。負けず嫌いだね」
「城ヶ崎、そんなことより、これで犯人がはっきりしたんだろ。誰なんだ、犯人は」
「あまり言いたくないね」
「面倒臭がるな」
「面倒なわけではないのだけど。じゃあまず、犯人の前に、これを言っておこう。犯人は、陽子君を狙っていた。もともと、陽子君だけを」
「どうしてそうわかる」
「名前だよ。『空野陽子』と『黄昏の庭師』」
「どういうことだ」
「『黄昏』は、一日のうちで、『空の陽光』がかげる時間をさす」
「…それだけか」
「ああ」
 危うく私は城ヶ崎に殴りかかるところだった。
「そんな程度でなぜわかる。ふざけるなよ」
「そんな程度、で済まされないんだ、この事件の中では。こういう子供っぽさが、この事件の鍵だ」
「わかったわかった。くだらない話はたくさんだ。名前はもういいから、早く事件の話をしてくれ。犯人は、いったい誰なんだ」
 城ヶ崎は、ここから先のほうがくだらないんだが、とつぶやいて、ついに犯人について喋り始めた。
「じゃあ話すよ。犯人は、陽子君だ」
「…は?」
 私は頭をフル回転させた。
「つまり、自殺だった、ということだな」
「違う」
 違うのか。
「じゃあまさか、殺されていたのは別の人なのか」
「違う。殺されていたのは陽子君だ」
 フル回転した私の頭は、早くもオーバーヒートを起こした。
「じゃあ何なんだ。どういうことだ。それなら、未来の陽子君がタイムスリップしてきて今の陽子君を殺したとでもいうのか」
「やるじゃないか。正解だ」
 私は、その言葉の意味を理解するのに、数秒もの時を要した。
「正解? 正解だと」
「概ね、だけどね。早坂君の言葉の中では、タイムスリップ、というのが少し違う。だけど、犯人に関しては完全な正解だ」
「未来の陽子君? 犯人は未来の陽子君? ふざけているのか」
 城ヶ崎は、ふざけてはいないよ、と生真面目に返事してから、事件の真相を話し始めた。
「早坂君、君は、過去の自分を消したいと思ったことは無いかい」
「何だ、唐突に」
「無いかい」
「…そりゃあ、あるにはある」
「それだ。それこそがこの事件の核心」
 意味がわからない。
「意味がわからないぞ、城ヶ崎」
「未来の陽子君が、過去の自分を殺してしまいたいと思ったんだ。それだけが、この事件の本質」
 意味がわからない。
「過去の自分を殺したいと思ったからって、本当に過去の自分が殺せるわけ無いだろう」
「一概にそうとも言えない」
「なら言ってみろ、どんな場合に過去の自分を殺せるんだ」
 城ヶ崎は、小気味がいいくらいはっきりと、答えを言った。
  
「想像の中」
  
 意味が、わかってしまった。
  
「城ヶ崎、お前が言いたいのは、つまり、この世界は、」
「そう、この世界は陽子君の想像の世界。陽子君、くだらない妄想はそろそろやめたまえ
わかってしまいましたか、さすがは城ヶ崎さん。私の妄想のなかでさえ、事件を解決してしまうのですね。
 私は、くだらない、本当にくだらない妄想をやめ、現実に意識を戻した。
 今は六月。私はいつも通り、城ヶ崎さんの事務所にいた。中にいるメンバーもいつも通り。私に、桂木警部に、早坂さんに、そして城ヶ崎さん。
 だけど、今日はいつもと違う点がたくさんある。
 天井からぶら下がる、「結婚おめでとう」とかかれた垂れ幕。
 机に並ぶ(いつもに比べては)豪華な食事。
「健やかなるときも、病めるときも、ええと、風の日にも、雪にも負けず」
 神父の格好をして、口上を述べる桂木警部。
「警部、宮川賢治になってるぞ」
 タキシードを着て、警部に突っ込む助手の早坂さん。そして、そして、、、
「宮沢賢治、だよ、早坂君。宮川じゃない」
 花嫁衣裳で早坂さんの横に立つ、女探偵、城ヶ崎さん。
「神父なんてしたことが無いからな。ええと、なんだ、その、そうだ、新郎よ、永遠の愛を誓うか」
 神父役を半分放棄する桂木警部。
「ええ、おい、いきなりすぎるぞ」
 慌てる早坂さん。
「どうした、早坂君。男だったら、どーんと私に誓って見せたまえ」
 楽しそうな城ヶ崎さん。
 …もうだめだ。
 私は、我慢ができなくなって、簡易結婚式場になった城ヶ崎探偵事務所を飛び出した。
  
 飛び出したところで、行く当ての無い私は、城ヶ崎探偵事務所の入っている貸しビルの屋上で風に当たっていた。
 さっきの妄想、見事に妄想の中の城ヶ崎に真相を看破されてしまったが、いくつか、ばれなかったことがある。その一つは、ポインセチアの意味である。だが、妄想の中でばれなかったということは、それに込められた意味は、私の本心ではないのかもしれない。そう思うと、ますます自分が惨めになっていく気がした。
 仕方が無いのだ。私は女だ。同性である城ヶ崎さんとは結ばれ得ないのはわかっている。喜ぶべきなのだ、城ヶ崎さんの幸せを。
 でもだめだ。
 もし自分が男だったなら、あるいはもし城ヶ崎さんが男だったなら、結ばれていたのは私だったのかもしれない。そうでなくとも、もし早坂さんが女だったなら、少なくとも二人は結ばれてはいないだろう。なぜ自分は女で、城ヶ崎さんも女で、早坂さんは男なのだろう。どうしてこんな。
 もう一つ、妄想の中で、ばれなかったこと。動機だ。どうして私が、半年前の私を殺したかったのか。
 馬鹿だったからだ。あのときの私は本当に馬鹿だった。何も知らずに、ただ城ヶ崎さんの一番近くに私がいると信じて。何も知らずに、何も知らずに、何も、何も。
「陽子君」
 今、一番聞きたくない、だけど、一番求めていた声がした。
 振り向くと、城ヶ崎さんがいた。
「城ヶ崎さん!式はどうしたんですか」
「陽子君が急に飛び出していってしまったからね。式はあの二人で勝手に続けてもらっている」
「あの二人だけで? なんですか、そのへんてこな結婚式。ふふ」
 無理に笑ってみたが、その笑いもすぐに凍りついた。城ヶ崎さんの姿に目がいったからだ。
 膨らんだお腹。妊娠7ヶ月だそうだ。つまり、去年のクリスマスには、この子はすでに城ヶ崎さんの中にいたのだ。なのに、何も知らず、私は。
 城ヶ崎さんが困ったような顔をしている。
 今だろうか、チャンスは今だろうか。
 私は、懐から、さらしにまいた包丁を取り出した。私に行く当ては無い。今日ここで、城ヶ崎さんを殺して私も死ぬつもりだった。
 包丁を構える私を、城ヶ崎さんはじっと見ている。
 さあ、進め。突け。殺せ。そう思っても、私の身体は震えるだけだった。
 涙が止まらない。
 その時、身体と一緒に震えるだけだった唇が、思いがけない言葉を吐いた。
「…好きなんです…」
 やめろ、止まれと思う一方で、口をついて後から後から出てくる言葉は、結局私の本心から出てくる言葉だった。涙と一緒で、それはとめようが無かった。
「どうしようもなく好きなんです。どうしようもなく好きなんです。駄目だとわかっていても、好きなんです。本当に好きなんです。本当に、どうしようもなく、好きです」
「陽子君」
 今まで黙っていた城ヶ崎さんが急に喋りかけてきた。だけど、私はそのことにではなく、城ヶ崎さんの言葉の真摯さに驚いて、包丁を下に落としてしまった。
「は、はい」
「私は、早坂君のことが、どうしようもなく好きだ」
 その言葉は、私の心に風穴を開けた。そこにたまっていた泥が、その穴からだんだん流れていくのが感じられた。
 そして、城ヶ崎さんが続けて言った言葉は、私の中の泥を、綺麗さっぱり吹き払ってしまった。
「ごめん」
 涙も止まった。私は、包丁をしまっていたところから、別のものを出し、城ヶ崎さんに手渡した。
 城ヶ崎さんは、それを手に取ると、しばらく眺めてから、嬉しそうに、笑ってくれた。
 私が手渡したものは、ポインセチアの枝だった。現実世界の城ヶ崎さんは、ポインセチアの意味を汲み取ってくれたみたいだ。
 そう、ポインセチアの花言葉は、、、
 洗車を済ませた事務所の車で、城ヶ崎さんと早坂さんはハネムーンに出かけていった。私と桂木警部は、それを見送った。城ヶ崎さんと早坂さんが見えなくなると、警部は私のほうを向いた。
「ところで陽子ちゃん、その手に持っているのは何?」
「これですか。これ、引き出物ですって」
「そのぶたが?あの二人、センス無いなあ」
「ふふ、そうですね。貯金箱なんて」
 その時、ふとあることに気づいた。
「あれ、これ、中身が入ってる」
 貯金箱に入っていたのは、一枚の五百円玉だった。そして、その年号は今年のものだった。
 止まったと思った涙がまた出てきた。
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