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「星を継ぐもの」は歴史ミステリである〜〜読書会レジュメ〜〜

2000/10/14/ 文責 中根

1. 序論

 バイト先の書店でかかっている有線放送から、ある本のコマーシャルが流れた。「歴史ミステリ作家養成講座」(祥伝社文庫)。その一節に次のような文句があった:『西洋には何故歴史ミステリがないのか』。
 私はそれは違うと心の中で思った。西洋(と言ってもアメリカだが)に抜群の歴史ミステリがあるというのに。そう。それが今回の課題作、「星を継ぐもの」なのである。
 ……と前置きが長くなりましたが、このレジュメでは「星を継ぐもの」が歴史ミステリであることを主張したいと思います。そのため、一般に歴史ミステリといわれる「猿丸幻視行」(井沢元彦著、講談社文庫)、「写楽殺人事件」(高橋克彦著、講談社文庫)の内容に一部触れますが、ネタバレはしていません。「星を継ぐもの」についてはいくつかのネタバレをしています。

2. 条件

 前述の「歴史ミステリ作家養成講座」によると歴史ミステリとは「歴史上の謎を解く物語」と定義されている。実際、「猿丸幻視行」では猿丸と柿本人麻呂の謎、「写楽殺人事件」では東洲斎写楽の謎について扱っているし、他にもチンギス=ハーンの謎、邪馬台国の謎などを扱った物語もある。
 私は「星を継ぐもの」を歴史ミステリだと主張している。つまり、この物語も歴史上の謎を解いているのだ。それは、人類史上最大の謎(これは執筆当時(1977)のものであり、今は少し謎が解かれているらしい……余談)である、ミッシング・リンク(人が何故、どうやって猿から進化したのか)とネアンデルタール人とクロマニヨン人の謎(この二つは系列が違うのであるが、突然、ネアンデルタール人が滅亡した)の二つである。

3. 根拠

 ただし、ただ「チンギス=ハーンは源義経である」とだけ言ってもそれは歴史ミステリではない。その主張の根拠、そしてそこから得られる推論こそが歴史ミステリの根幹と言っても良い。「星を継ぐもの」における根拠は、月面から発見された"チャーリー"と、月面の半球不整合、それにガニメデの地下から発見された宇宙船の三つである。ここで一つ問題がある。この根拠は実在しないではないかと。
 確かにそうである。この設定が「星を継ぐもの」がSFと言われる所以であろうが、これは歴史ミステリについてはなんら問題とならない。確かに歴史ミステリに出てくる根拠には、古事記や日本書紀、聖書などの書物が使われることが多いしこれらは実在している。しかしまるで見たことも聞いたこともない人にとっては実在すら疑わしいだろう。さらに取り上げた「猿丸幻視行」では、猿丸額と人丸額が推論の根拠であったし、「写楽殺人事件」では、「東洲斎写楽改近松昌栄画」と書かれた秋田蘭画が根拠であった。この二つは実際実在も疑わしい。しかしこの二作は代表的歴史ミステリと言われている。すなわち根拠の実在性については、歴史ミステリの問題にはならないのだ。(とはいえ、根拠となるものが実在していた方が望ましいのは言うまでもないし、そのほうが楽しみが増えると思う)

4. SF

 先ほど私は、根拠が実在しないことが、この作品がSFと言われる所以であると言った。しかしそれ以上にこの作品は「SF(Science Fiction)」なのである。それは、推論の論理性と、科学的根拠による。
 普通、歴史ミステリでは、いわゆる定説と言う物とは違う結論を導くために、推論の検証はほとんどなされない。検証することで、結局は定説に落ち込むことになっては困るからである。多くの場合、これを回避するために、一段高い証拠を持ち出す。それがすなわち実在の事件である。事件の起きた理由に、導かれた仮説が不可欠なものを持ってくるのだ。これで検証はきわめて曖昧であるけれども、事件のおかげで、その内部ではその結論が正しくなる。
 しかし、「星を継ぐもの」にはそのような事件は存在しない(エピローグとこのシリーズの残り二作は、この意味での事件に相当するであろうが、それを推論者はまるで考慮していない)。推論にあるのは科学的根拠と、論理性だけである。
 一例を見てみる。103ページから110ページにかけての一連の流れは素晴らしいとしか言いようがない.。多くの場合、これだけのことがあれば、地図の場所は地球以外の惑星で、"チャーリー"が住んでいた惑星だという結論に達してしまうだろう。しかし、そこでも言われている通り、論理的には、これらのさまざまなことがわかっても、何も結論付けることはできないのである。
 さらにもうひとつ。199ページのマドスンの言葉、「カレンダーはご破算にして、全部はじめからやり直さなくてはなりませんね」。あるいは、275ページのハントの言葉、「現時点では、これらはすべての事実を説明し得る一仮説であるに過ぎません」。これらの言葉こそがこの物語の精神だと言える。
 これほど高い科学性に裏打ちされた物語をSFと言わずしてなんと言えば良いのだろうか。

5. 学者

 この物語には多くの科学者が登場する。それぞれが分野も違うし、持論も違う。その科学者達がなす饗宴(Scientists' Feast)もこの物語の特色である。科学者の丁丁発止のやりあいは見てて心地よい。ハントとダンチェッカーは勿論であるが、その他にも言語学者のマドスン、月面学者のスタインフィールドもなくてはならない存在だ。

6. 問題

 しかし、この作品に瑕疵がないわけではない。第一に、これはこの作品の魅力でもあるといえるのだが、あまりに科学用語が多過ぎることである。若干なりと科学的知識があればそうでもないのだが、まるでない場合には、ここで書かれていることはちんぷんかんぷんだろう。先ほども述べたように、ここで書かれている科学的根拠は荒唐無稽ではない(ニュートリノビームでスキャンする装置はないのであるが)。しかし、それを知らない人には、こんなのはこじつけだと言う印象を与えてしまうだろう。
 第二に、これは幾分なりとも個人的な物になるので恐縮だが、ハントばかりが活躍していることである。特に、ハントが木星探査船に乗りこんだ後、最後の結論を出すまでに二ヶ月かかっている。地球に残っているか学者達が同じ結論に達しないわけがない。誰かが言い出して、検証するはずである。それがなされていないのが、ハントを素晴らしい人物に書こうとした為であることが、残念でならない。

7. 総括

 ここまでにおいて、私は「星を継ぐもの」が優れた歴史ミステリかつSFであることを主張してきた。勿論、これは私の結論であって、検証も何もなされていない。検証はあなたがたの感想に任せるとしよう。

8. 補足

 この作品は「ガニメデの優しい巨人」、「巨人たちの星」(いずれも創元SF文庫)の二作と合わせて三部作をなしています。いずれもSFとしてもミステリとしても(「ガニメデ〜〜」はどちらかと言うとSFより、「巨人たちの星」はSF活劇かつ歴史ミステリ)楽しめます。いずれも科学的推論が極めて鮮烈ですので、「星を継ぐもの」が肌に合ったなら、読んで損はありません。というより、続きが気になるはずです。
 ちなみに私は、この物語の中の月の移動については、それしかないと結論付けました(もっともそれ以外についてはまるで分からなかったのですが)。だから、この作品はアンフェアではありません。論理的に解ける謎があるだけです。
 最後に二つのURLを紹介します。これは、この作品の中の科学的根拠を提出する物です。
  http://www.blk.mmtr.or.jp/~chiyuki/pretoml1/data_dir/toml3-8-2.htm
  金属関係の論文集ですが、ガラスの結晶構造に対する重力の影響についてあります。
  http://www.bio.nagoya-u.ac.jp:8001/~hori/asahihyakka01.html
  分子進化学に関するページ。ダンチェッカーの根拠ですね。
 生物の代謝に関するものも探したのですが、ちょっと見当たりませんでした。